「意見の違い」を「否定」と誤解しないために
味方が欲しいのに、味方ができない。原因にはさまざまなものがございますが、今日はその一つに絞ってお話しいたします。
それは、「相手が自分と異なる意見を口にすると、怒りが湧く」という癖です。
たとえば、こういう場面がございます。運動会で三位になり、頑張られたあなたに、どなたかが「私は一番でなければ意味がないと思う」とおっしゃったとします。すると途端に、怒りがこみ上げてくる。あるいは、お子さんのいらっしゃらない方が「子どもがいると色々学べるものよね」と言われると、カチンとくる。
そういうことが、おありではないでしょうか。
「認められていない」という誤解が、ご縁を遠ざけていく
少し冷静にお考えになってみてください。「一番でなければ意味がない」とおっしゃった方は、あなたの三位を否定なさったのでしょうか。「子どもがいると学べる」とおっしゃった方は、お子さんのいないあなたを軽んじたのでしょうか。
まったく、そのようなことはございません。その方は、ご自分の感想を述べられただけなのです。
けれども、あなたの頭の中では、相手の言葉がそのまま「あなたへの否定」に変換されてしまっている。だからこそ、怒りがわいてくる。「私のことを認めてくださっていないのですか」という反応になってしまうのです。
そうなりますと、相手の方も戸惑われることでしょう。「そのようなつもりではなかったのだけれど」となる。会話がかみ合わないまま、なんとなく距離ができ、ご縁が遠のいていく。それが、繰り返されているのです。
これは、日常のささやかな会話の中で起こりやすいことです。どなたかのひと言に強く反応し、気づかぬうちに心を閉ざしてしまっている。ご自分では味方がいないと感じていても、相手からすれば「どうして急に怒っていらっしゃるのだろう」という状態になっていることが、実に多いのです。
その癖は、どこから来ているのでしょうか
このような反応の型は、多くの場合、幼い頃に見てきた光景から作られているものです。
ご両親のどちらかが何かをおっしゃるたびに、もう一方が激しく怒り返していた。「あなたの意見が正しくて、私が間違っている」というような空気が、日常にあった。そうしたご家庭で育たれますと、頭の中に「二つの意見は争うものだ」という前提が、自然と刷り込まれていきます。
反対に、「ゴミを出しておいてね」「わかったよ」と、ごく普通にやり取りできるご家庭で育たれた方は、意見が違っても争いにはならないということを、体で知っているのです。二つの異なる意見が、同時に存在できることをご存じなのです。
この差は、思っている以上に大きなものです。
記憶というものは潜在意識に残り、その中からご自身の生き方の「正解」を無意識のうちに選び取っています。かつて目にした光景が、今の反応の型を作っているのです。「子どもがいると学べる」と「子どものいない自分はだめだ」とは、まったく別の話でありながら、頭の中ではいつの間にかつながってしまっている。そのことに気づかれるだけで、だいぶ楽になるはずです。
味方を増やしたいなら、まずここから
「そうなのですね、私はこう思うのですが」
これが自然に言えるようになるだけで、人間関係はずいぶんと変わっていくものです。
相手の意見を拒絶として受け取らなくなると、怒りではなく、素直な気持ちが前に出てくるようになります。素直な気持ちが表れると、相手も「そうか、そういう考え方もあるのだね」となる。かみ合う会話が生まれます。ご縁がつながり始めます。
味方がいないと感じていらっしゃるなら、少し立ち止まって考えてみてください。あなたの周りの方々は、本当に敵なのでしょうか。それとも、あなたの脳が「敵」に見せているだけなのでしょうか。
「認められていない」という誤解さえほぐれれば、あなたを本当に理解してくださるご縁は、きっと現れるものです。外側の問題に手をつけるよりも先に、頭の中の誤解を一つ解くほうが、ずっと早道なのです。