こだわりの正体――ほっとできなかった自分
「物事を一つ決めたら、もうその方法しかだめだと思い込んでしまい、どうしても手放せないのです」
このようなお話を、よく耳にいたします。
わかります。けれども、これは「こだわりが強い性格」というお話ではございません。もっと深いところに、本当のことがあるのです。
こだわりの下に、隠れているもの
感情をきちんと感じきると、その問題は不思議と解消されていくものです。けれども、このようにおっしゃる方がいらっしゃいます。「感情は感じているつもりです。でも、何も変わらないのです」と。
それは、繰り返しているその感情が、「本当に感じたかった感情」ではないからなのです。
一つのやり方にしがみつく怖さ、変えることへのこだわり――それは表に出てきている感情にすぎません。けれども、その奥には、もっと豊かな感覚があるのです。「ああ、これだ。これが私のやり方だ」と、しっくりとほっとする感覚。ご自分の方向へ、のびのびと動き出せる感覚。あなたが「こだわり」と呼んでいるものは、実はその本来の感覚にたどり着けなかった怖さが、繰り返されているだけなのかもしれません。
思い当たる節が、おありなのではないでしょうか。
これは、記憶より前の話であることも
意外に思われるかもしれませんが、こうした根深いこだわりは、知識や経験が積み重なるよりもずっと以前の時期に始まっていることがございます。
生き物として、ただ自然に動きたかった、のびのびとしていたかった。あれが正しい、これはだめだと判断する以前の、もっと単純な状態でありたかったのに、それが叶わなかった。そのことが、体にずっと残っているのです。
親子関係の傷よりも、さらに早い話です。記憶にすら残っていないような時期の、小さな体の怖がり方。それが大人になってから、「この方法でなければ怖い」という感覚として現れていることがあるのです。
赤子の頃に体が怖がってしまったことが、時を経て形を変え、「一つのやり方にしがみつく」という癖になる――これは、案外よくあることなのです。
「ほっとしたかった」と、ひと言認めてみる
では、どうすればよいのでしょうか。難しいことは申しません。
このように思ってみてください。
「私は本当はほっとして、これでいいのだと感じたかったのだ。記憶にはないけれど、そのような感覚を欲していたのだ。けれども、何かの事情でそれが叶わず、怖さのあまり、一つの方法にすがってしまっている自分がいる」
頭で理解しようとなさらなくて構いません。「ああ、そういうことが起きていたのだな」と、ただそう思っておくだけでよいのです。それだけで、あなたの中の何かが、少しずつ動き出していくものです。
何かにこだわってしまうのは、性格のせいではございません。意志が弱いせいでもございません。ただ、ほっとすることができなかったご自分が、ずっとそこにいらっしゃるだけなのです。
そのように思えましたら、どうぞ少しだけ、ご自分に優しくしてさしあげてください。あなたの本質へとつながる扉は、責めることによってではなく、認めることによって開かれるものなのです。