「イラっ」の正体――人はあなたを映す鏡
あなたの周りに、なんとなく苛立ちを覚える方はいらっしゃいませんか。決して悪い方ではないのに、なぜか気にかかる。あるいは、ご一緒にいると「それは少し違うのではないか」とお小言を言いたくなる方。
そのような相手が、いらっしゃることでしょう。
はっきりと申し上げますが、その「苛立ち」はしるしなのです。あなたの人生の扉が、そこにあるというしるしです。
あなたを苛立たせる方は、鏡のようなもの
たとえば、自信に満ち、少し浮かれているように見える方が気になるとしましょう。「少しやりすぎではないか」と感じてしまう相手です。
その感覚は、どこから来ているとお思いでしょうか。
多くの場合、ご自分ができていないこと、ご自分に許してこなかったことを、いともたやすくやってのけている方に、人は苛立ちを覚えるものです。根拠がなくても堂々としている方、失敗しても朗らかに笑っている方、うまくいかなくてもすぐ次の手を考える方――そうした方を見て「少しやりすぎだ」「軽すぎる」とお感じになるなら、それはあなた自身が「もっと自由にふるまってよいのだ」と告げられているのです。
逆の場合もございます。
「この方は厳しすぎる」「もっと肩の力を抜けばよいのに」とお思いになる相手がいるとして。そのとき、あなた自身が何か「やらなくてよい」と決めつけて、避けていることがないか、少し振り返ってみていただきたいのです。その厳しさが気になるのは、あなたの中に眠ったままの「やってみる力」があるからかもしれません。
いずれにせよ、苛立ちを覚える相手とは、あなたに何かを届けに来てくださっている方なのです。
「うまくいくか」よりも、「ご自身の偏り」を見つめる
人生がなかなか動かないと感じるとき、たいていそこには、ご自分がこだわりすぎている何かがあるものです。
方法への固執。「こうでなければならない」という思い込み。あるいは「これは自分には向いていない」「失敗したら終わりだ」といった、少し硬くなりすぎた考え方。そうしたものを誰かに話してみると、「あれ、それほど大した話ではなかったかもしれない」と気づくことが、よくございます。頭の中で一人で抱えているときほど、問題は大きく見えてしまうものです。
ご自分が何かに強く抵抗していると、それは人間関係の中に現れてまいります。苛立ちを覚える方、お小言を言いたくなる方、なんとなく受け入れがたい方――そうした相手は、あなたの「偏り」が映し出されたものであることが多いのです。
そこに気づき、ご自身の見方が少しほぐれてくると、興味深いことが起こり始めます。今まで見えなかったものが見えてくる。ずっとうまくいかなかったことが、すんなりと動き出すこともあります。まったく予想していなかった出会いが訪れることもあるでしょう。「最近、少し流れが変わった気がする」と感じる直前には、たいていご自身の中の何かが、少し柔らかくなっているものです。
偏りがほぐれると、人生は動き始める
「そんなに簡単に変わるものだろうか」とお思いになるかもしれません。
けれども、大きく変わる必要などございません。「あの方のやり方も、まあそれはそれで良いのかもしれない」と思える程度、そのくらいの小さな変化で十分なのです。意外にも、それだけで扉は開くものです。
しかも、そうした変化は、頑張って変えようとするよりも、ふと気づいたときにすっと起きることの方が多いものです。ですから、苛立ちの感情を無理になくそうとする必要はありません。「あ、また苛立っている。ということは、ここに何かあるのだな」――そのくらいに受け止めていただければ、それで十分です。
人生の扉というものは、探して探して見つけ出すものではなく、日常の中のちょっとした引っかかりに、そっと隠れているものです。
あなたを苛立たせる相手が、実はその扉であることが多いのです。ですから、うまくかわそうとするよりも、少し立ち止まって「なぜ苛立つのだろう」と考えてみる方が、ずっと味わい深いことではないでしょうか。