びわが教えてくれること――自然と、分け与える心
友人からもらったびわ。すぐに傷んでしまうその姿から、昔の人が自然に知っていた「分かち合う心」が見えてきたの。文明の中にいても、自然の流れに身をゆだねる静けさを持つことが、ほんとうの豊かさにつながるのではないかしら。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:びわ 自然に教わること 保存料と生活
びわが、ボールいっぱい。
友人宅でたわわに実ったからって、分けてもらったの。甘くて豊かな味わいで、日にかざすと、6月の少し強い日差しの中で、びわの色がとろけるみたいに溶けあって――そういう瞬間って、いいわよね。
自然のものは、正直ね
ところがね、食べきれない分を置いておくと、すぐに変色してくる。自然栽培のニラをいただいたときも同じで、冷蔵庫に入れていたのに、あっという間に傷んでしまった。
スーパーのものが何日も持つのは、やっぱり何かしら手が加えられているからでしょうね。自然のものはこんなにも正直なのか、ってあらためて思ったわ。
保存できないから、分け与えた
冷蔵庫もない時代の人たちは、どうしていたのかしら。
たくさん実っても、全部は持ちきれない。食べきれない。だとしたら――自然と、分け与えるしかないわよね。わけてあげる、というより、そうするしかないから、そうする。そういうシンプルな流れの中で、分かち合うことが、ごく当たり前のこととして根づいていたんじゃないかしら。
来年まで待たないと味わえない季節のもの。だからこそ大事で、だからこそ、惜しみなく渡せる。そういう心のすがすがしさが、自然に育っていたとしても、ちっとも不思議じゃないと思うの。
文明の中で、流れに身をゆだねる
もちろん、文明の恩恵は受けているし、全部を否定する気なんてない。弊害ばかりを並べたてていても、心がすさむだけよ。
ただ、自然の中から与えられている豊かさ、物にしがみつかない心持ち――そういうものを、ときどき思い出せるといいなとは思う。
文明の中にあっても、季節の流れを肌で感じて、優しいときに身をゆだねられる静けさを持てるかどうか。それが、ほんとうの意味での健やかさにつながっていくんじゃないかしら。
びわひとつから、そんなことを考えた、6月の朝よ。