自己肯定できる人にイライラするのは、自分への愛を求めているサイン
自己肯定する人を見てなぜかムカつく——その感情の正体、気になったことない?じつはそれ、あなた自身が「自分を信じていい」と求めているサインなのよ。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:人といていらっとするときは、自分に対する愛を受け入れるとき
人って、なんで他人のことがそんなに気になるのかしら。
ときどきね、こういうことを話してくれる人がいるの。「自分に肯定的な言葉を使う人を見ると、なぜかイライラしてしまう」って。「私はあの人に気を持たれているだろう」とか、「自我が強いけど、そんな自分も好き(笑)」——そんなことをさらっと言える人を見るたびに、証拠もないのに……って胸がざわつく、と。
知識で距離を置けるようにはなってきた、でも釈然としない。聞いたあと、なんとなく自分の存在が薄くなっていくような、心もとない感覚がある——そういう気持ち、わかるわよ。
でもね、ちょっとだけ意地悪なことを言ってもいい?
その「イライラ」、あなたの鏡よ
人は、人といて初めて「自分」がわかるものなの。
誰かにイライラするとき、その相手はあなたを映している鏡よ。あなたの中にある「欲しいもの」を、ちゃんと見せてくれてる。
自己肯定する人にモヤっとするのはね、あなただって本当はそうしたいから。「証拠がなくても、自分を信じていい」——その感覚を、ずっとどこかで求めてたの。受け取れなかっただけで。だから、それをさらっとやってる人を見ると、わけもわからずカチンとくる。
「証拠もないのに」って思うでしょ? そこよ、ポイントは。証拠がないと自分を信じてはいけない、という思い込みが、あなたの中にどっかりと根を張ってるの。
すべての出会いも、誰かへのイライラも、じつはぜんぶ「ありがとさん」なのよ。あなたに何かを気づかせるために、そこにいてくれてる。
幼い頃の「心もとなさ」が今も生きている
少し思い出してみてほしいんだけど。
「これが好きかも」「こういうの、得意かも」——子どもの頃にそう感じたとき、それをそのまま温かく受け止めてもらえた記憶、ある?
心もとない感覚が出てくるのはね、「自分でいることを、誰かに喜んでほしかった」という気持ちが、かつてちゃんと満たされなかったからよ。それが今になって、自己肯定できる人を見るたびに、じわっと顔を出してくる。
責めてるんじゃないわ。ただ、そういう小さなあなたが、まだそこにいるってこと。
それがわかると、その心もとなさに、そっと手を差し伸べてあげることができるから。
少しだけ、証拠なしで自分を信じてみて
「証拠はないけど、これが好きかもしれない」「根拠はないけど、自分ってこうかも」——そういう気持ちを、少しだけ許してあげてほしいの。
怖い、と思う。うまくいかなかったら恥ずかしい、バカを見る——そんな感情が出てくるのも当然よ。でも、その感情に引き回されないで、胸に手を当てて、「あー、こわいんだね」ってそっと認めてあげるだけでいい。そのくらいで、いいの。
するとね、不思議なことが起きるわ。
あなたが自分のその部分を受け入れはじめると、それをちゃんと愛してくれる人が現れてくるのよ。家族かもしれない、友達かもしれない。道ですれ違った人との何気ない会話が、思いがけず温かさをくれることだってある。あなたらしさが、すんなりと喜ばれる場面が出てくる。
人のことがいちいち気になるときは、たいてい「自分への愛を受け取るタイミング」が来てるの。そういうこと、よくあるんだから(笑)