我慢と自分らしさ、ずっと戦わせてない? 選択が変わると、人生が動き出す
「我慢しなきゃ」と「自分らしくしたい」がずっと頭の中でせめぎ合っていない? その戦いこそが選択をうまくいかなくさせている原因かもしれないの。気づくだけで、変わることがあるのよ。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:選ぶときに 我慢か自分らしくか
「大事なものを大事にするために選ぶ」――そう聞いて、ハッとした人がいるのよ。
片付けの話でよく言われることなんだけど、「不要なものを取り除くのが選択」だと思っていたら、実はまったく逆だった、って。洋服も仕事も人間関係も、全部「機能的かどうか」「役に立つかどうか」で選んできた。心がわくわくするかどうかじゃなくて。――これ、じわじわしんどくなってくるのも当たり前よね。
でも、そういう選び方をしてきた人って、実はすごく多いの。
頭の中では、二つの声が戦っている
みんなの頭の中に、常に二つの声があるの。「社会の中で生きていくためにこうしなきゃ」という声と、「でも自分はこうしたい」という声。
はっきり言うけど、これって悪いことじゃないのよ。社会性を身につけていくうえでは、むしろ必要なことでもある。でも問題は、この二つがいつまでも戦い続けているとき。「こんなことしたいけど、でも我慢しなきゃ」がずーっと頭の中で続いていると、何を選んでも消耗するし、何かがじわじわ滞っていくような感覚になってくる。なんとなくうまく進んでいない感、ってやつね。
「自分らしく」しようとするとき、「でもそれじゃだめなんじゃないか」「誰かに非難されるんじゃないか」って不安がわく人、多い。あなたもそうじゃない?でもそれ、事実じゃないの。ただわきやすいだけ。頭の中の古い戦いが、まだそこに居座っているだけよ。
二つが戦わなくなると、アイデアが勝手に生まれてくる
反対に、この「社会」と「自分らしさ」が頭の中でもう争っていないとき、どうなると思う?
不思議なくらい、新しいやり方がひとりでにわいてくるのよ。
たとえば、芸術で生きたいけど稼げない、という人がいるとするでしょ。頭の中でまだ戦いが続いていると、出口が見えにくい。でも戦いがなければ――「人気の出る切り口を自分の中から見つければいい」「まず安くてもいいから動き出そう」「別の形と組み合わせればいい」って、こだわりなく自然にアイデアが出てくる。我慢する必要もなく、邪魔をすることもなく。
「こんなことしたいのに、でもそれじゃだめ、自分らしくない」とこだわりが強いとき、そこには抑圧されたままの怒りが残っていることが多いの。お母さんからかもしれないし、「こうじゃなきゃいけない」という強い”べき”観念かもしれない。そういうものが、自分の本来の在り方をぼやかしているのよ。
「自分らしいもの」を、少しずつ取り戻す
じゃあどうするの、ってなるわよね。
急に全部変えようとしなくていい。それはちょっと無理がかかるわ。今まで社会に合わせることが多かったなら、まずは無理しない範囲で、「これは自分らしい」と感じるものをひとつひとつ選んでみる。ただそれだけでいいの。
面白いことに、嫌いなのに「必要だから」で選んでいたものを手放すと、体の不調が改善したり、気持ちがふっと軽くなったりすることもある。それくらい、自分らしい選択って体にまで影響しているものなのよ。片付けをしていくうちに自分のことがわかってくる、と言われるのも、同じ原理だと思うわ。
「我慢か、自分らしさか」の二択で迷っているうちは、まだ頭の中で戦いが続いている証拠。この二つが争わなくなったとき、はじめてどちらも無理なく選べるようになる。そのとき、本当の意味での「選択」が始まるんじゃないかしら。