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頑張ってきたことほど、なぜ人にイライラするの?誇りが寛容に変わるとき

頑張ってきたことほど、なぜか人の言動が気になってイライラしやすい。そのイライラ、ちゃんと理由があるのよ。自分を認めると人が気にならなくなる、誇りと寛容の話。

Original Article

キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。

オリジナル記事:悟りとイライラ

人間ってね、自分が一生懸命にやってきたことに対しては、なぜか厳しくなるものなの。ほかのことには「まあそんなもんか」って受け流せるのに、そこだけはカチン、ムッ。知ってるでしょ、あの感じ。

先日ね、こういう話になったの。ある人が、「物事を判断しない」「人の欠点をゆるす」ということはわりとできている。いろんなことに寛容でいられる。なのに、「悟り」ということについてだけは、どうしても気になってしまう、と。

自分よりも修行が浅そうな人が「悟った」と言っているのを見ると、「それは違うんじゃないか」「あのレベルでは言えないでしょ」って思ってしまう。でも、そんな自分を責めてもいる。

そのイライラ、あなたが本気でやってきた証拠よ

それは責めることじゃないの。

むしろ逆よ。そこにイライラできるということは、それだけその道を真剣に歩んできた、ということなんだから。いい加減にやってきた人は、そもそもムッともしないのよ。
そのイライラは、あなたが一生懸命にやってきた証拠。素晴らしいことよ。自分を責めなくていいから。

これはね、どんな分野でもある話なの。長年かけて積み上げてきた技術を、経験の浅い人がドヤ顔で語っている。勉強を重ねてきた分野で、付け焼き刃の人が自信満々に振る舞っている。そりゃイライラするわよ。当たり前じゃない。

人が気になるのは、自分をもっと認めたいサインかもしれない

じゃあ、どうしたらいい?

こう考えてみて。「あの人に腹が立つのは、私がそこを本気でやってきたから。まだ満足しきれていないから、気になるのかもしれない」と。

つまり、イライラのエネルギーを、自分に向けてあげる、ということよ。もっと精進するという方向もあるし、「もっと自分のしてきたことを、ちゃんと誇りに思っていい」という方向もある。

こういう話をしているとね、「なるほど、自分がもっと認めてほしかっただけだ」って気づく方が多いの。ふふ、おもしろいでしょ。一生懸命やってきたのに、誰にも気づかれていない気がして、だから人に見せたくなる、認めさせたくなる。そういうことなのよ。

そしてね、自分をちゃんと誇りに思えるようになると、人のことが気になる部分って、自然と減っていくの。誇りを持つことと、自分を律することは、矛盾しない。むしろ、自分への敬意が深まるほど、人への寛容さも増してくる。

「まだまだ」より「ここまでやってきた」を大切に

ちょっと辛口に言うわよ。自分のしてきたことを認めることが怖い人って、意外と多いの。「まだまだ」「どうせ私なんか」って言いながら、自分で自分の価値を棚上げしてる。

でも、それって結局、他人軸で生きることになるのよ。誰かに認めてもらわないと不安、誰かが自分より下だと安心する、誰かの言葉にいちいち揺れる。根っこは全部おなじ。

黙って積み上げてきたもの、誰にも気づかれなくてもコツコツ続けてきたこと、それはぜんぶ本物よ。そこにちゃんと誇りを持っていいのよ。

もっともっと深めていけば、きっとある日、「ほー、悟ったんですね、素晴らしい」って、笑いながら言えるようになるのよ。

人はね、日々「わたし」というものを、お互いに見せ合いながら生きているの。そこに優劣なんてないわ。みんな人間だもの。それでいい。どっちもね。


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