「こうしないと成功できない」を手放したとき、願いはすんなり叶い出す
頑張るほど、なぜか叶わない。それ、こだわってる条件そのものが間違ってるからかもしれない。本当に望んでいるものの見つけ方。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:幸せな成功の方法
何かを成し遂げようとするとき、人はつい「当然、こういう順番で、こうしなきゃいけない」っていう型にとらわれすぎてしまうものなの。たとえばセラピストとして独立したいなら、「ちゃんとした会場を借りて」「落ち着いた雰囲気の場所で」「然るべき資格を取って」「人を集めるにはきちんとしたパンフレットを用意して」……ふーん、それっぽく聞こえるでしょ。でもね、その「当然の手順」の中に、本当は自分がしたいやり方と違うものが紛れ込んでいると、一生懸命やっているのに、どこかで自分が自分に逆らい始めるのよ。
「やらなきゃ」と「やりたくない」がせめぎ合う理由
仕事に対して積極的なタイプの人ほど、この罠にはまりやすいの。「とにかく前に進めば何とかなる」と思えば思うほど、実は自分本来のやり方じゃないものが混じっていることに気づかない。「こうしないとならない」という義務感と、「本当はこうしたくない」という本音が、心の中でずっと綱引きをしているわけ。これじゃあ、いくら頑張っても抜けが出てくるのも当然よね。
たとえばね、「高級住宅街に部屋を借りなければ、自分は評価されない」って固く信じている人がいるとするでしょ。もしそれが本当に魂の望みと一致しているなら、すんなり良い物件が見つかるものなの。でも本質とズレた思い込みがあると、不思議となかなか場所が決まらない。これ、よくある話なのよ。
だからといって、「高級住宅街で開業しちゃダメ」なんて言ってるんじゃないからね、勘違いしないで。それが本当に合っているなら、すぐに見つかる。そうじゃないなら、ちょっとズレてるよ、というだけのサインなの。
こだわりの裏にある「本当の望み」を見つける
「高級住宅街じゃないと人を呼べない」「そうじゃないと仕事の質が下がる気がする」――そう思い込んでいても、実際にそういう場所に足を運んでみると、なぜか心が躍らない。そんなときは、「高級住宅街でなくても、自分の仕事がちゃんと評価されて、すごく良い気持ちでいられる」という方向こそが正解なの。
その人が本当に求めているのは「評価されること」であって、「高級住宅街であること」じゃない。本質はもっとのびのびできる場所でその望みを叶えようとしているのに、思い込みのせいで「評価されたい」という気持ちの矛先が見当違いの方向に向いてしまっているだけなのよ。あっけないものでしょ。
今は信じられないかもしれないけど、「それが確実にわかる方法を教えてほしい」って素直に願ってみること。高級住宅街に部屋を借りたときと同じくらいスッキリ楽しい気持ちになるためには、本当は何が欲しいのかをまず自分でわかってあげる必要があるの。わかっていないまま、表面的な条件にだけこだわっているのが、うまくいかない原因なんだから。
こだわりが解けた瞬間、何が起きるか
本当に欲しいものが、こだわっていたやり方そのものではなく、心から望んでいる方向だったとわかって、「ああ、そっちに行こう」と思えたとき――そこには、自分自身を許せたような、深く癒される感覚があるの。そして、そうなったらもう、すんなり叶っていく。
これまで「田園調布じゃないと評価されない」と思い込んでいたのに、もっと自然な場所で、自分が身につけた技術を活かしてセラピーをすることに、想像していた以上の誇らしさと、魂が癒されるような深い喜びを感じられたとしたら。それはまるで、本来の自分につながり直して、懐かしい故郷に帰ってきたような気持ちになるものなのよ。
繰り返すけど、田園調布でも六本木ヒルズでも、場所自体が悪いんじゃないからね。大事なのは、それが本当に自分が望んでいることなのかどうか、それだけ。望みとズレたまま頑張っていると、必死にイメージを描いても、いくら映像を貼り付けても、なぜかうまくいかない。逆に、自分が本当に望んでいるものさえ見つけられれば、驚くほどあっさり物事は動き出すものなの。
その喜びは、本当に格別よ。幼い頃からずっと「自分であってはいけない」と自分に課してきた禁止の扉を開いて、「自分のやり方で、自分の欲しいものを手に入れていいんだ」っていう確信を得られる瞬間なんだから。