人といると緊張してしまうのは、コミュニケーション能力が低いからじゃなくて「勘違い」のせい
人といると緊張して疲れてしまうのは、脳が勝手に作った「こうでなければ」という思い込みのせい。その正体と、自然体で楽に人と接するための気づき方。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:人といると、極端に緊張をしてしまう、という相談
人と一緒にいると、なぜか過度に緊張して、気づけばどっと疲れている。そういう人、結構多いの。本人は「自分は人見知りだから」「コミュニケーション能力が低いから」って思い込んでるんだけど、実はそうじゃない。
正体はたった一つ。
「正しく使わないといけないもの」を、「止めないといけない」と勘違いしてしまった
それだけなのよ。脳の中で、その取り違えが起きてる。それだけのことで、人は緊張という鎧を着込んでしまうの。
なぜ「素の自分」を出すと緊張するのか
例えばね、小さい頃に「人前で笑うんじゃない」って教えられて育った人がいるとするでしょ。その人の中には、本来とても朗らかな部分がある。それは止めるものじゃなくて、上手に使うべきものなの。
なのに「止めないといけない」と脳が誤解してしまうと、どうなるか。その朗らかさを必死で抑え込んで、代わりに「朗らかそうな自分」を演じ始めるの。これが、緊張の正体。
笑う、というのはあくまで一例。あなたの場合は別の言葉かもしれない。「親切でなければ」「上品でなければ」「いい部分しか見せてはいけない」「立派でなければ」「成功している自分しか見せられない」――心当たり、ある?
そうやって自分に課したルールが多ければ多いほど、人と関わること自体がストレスの種になっていく。気づけば、ちょっとした人嫌いみたいな状態が出来上がってしまうわけ。
ストレスの大きさは「禁止の強さ」で決まる
このストレスの度合いには、ちゃんと理由がある。
誰にでも多少のストレスはあるものだけど、「これをしてはいけない」という脳の禁止の度合いが低い人は、自然体のまま、気負わずに親切に人と接することができる。逆にその禁止が強い人ほど、不自然なまでの気遣いをして、相手にまで余計な負担をかけてしまったり、人と会うたびにどっと疲れてしまったりするの。
以前、こういう緊張に悩んでいた方が、ふと「もうどうにでもなれ、どうしようもないんだから」と肩の力を抜けた瞬間があったの。その途端に「え、こんなに楽なの? 何これ」って驚いていたわ。それがまさに、ストレスがすっと抜けた状態。禅や瞑想が目指しているのも、実はこういう状態なのよ。脳の中の誤解を一つ取り去るだけで、人はこんなにも軽くなれる。
その方は後日、かかりつけのお医者さんから「なんだか急に楽しそうになったね」って言われたそうよ。それくらい、変化は周りにもわかるものなの。
「外したら大変なことになる」は脳が見せる幻想
ここまで読んで、「じゃあその思い込みを外せばいいのね」って思うでしょ。そう、その通り。でも、ここで一つ落とし穴がある。
自分の姿を禁じている度合いが強い人ほど、それを外そうとすると強い抵抗が出てくるの。「そんなことをしたら、自分は手のつけられない人間になってしまう」「人に笑われて、駄目な自分になる」――そんな強烈な嫌悪感や恐怖が湧いてくる。
でもね、これは脳が見せてるただの嘘。実際に外してみると起きるのは「あら、楽だし、前よりずっと上手に人と関われるじゃない」ということだけ。破天荒になることも、非常識になることも、気遣いが消えてなくなることも、実際には起きないの。
人が自分らしくあろうとするとき、脳は決まってこう囁いてくる。「今まで禁じてきたことを外したら、お前は正反対の人間になる」って。まるでジキルとハイドの話みたいに、極端なストーリーを持ち出して、怖さという道具で引き止めようとするのよ。
でも実際はそうじゃない。その思い込みが外れると起きるのは、無理して人に気を遣う代わりに、優しさや愛情や思いやりといった、もっと自然な動機から行動できるようになる、というだけのこと。
肩の力を抜いて、自分が「止めないといけない」と思い込んでいるものが、本当は何なのか。一度、静かに見つめ直してみるといいわ。