優遇されることに執着すると、関係がこじれる理由
優遇されることに執着すると、いつのまにか愛情のものさしになって関係がこじれていくもの。仕事と社交の境目を区切ることで、不要な執着がふっと外れていく話。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:優遇をされること
今日は「優遇」の話ね。
恋人だから、友達だから、と何かしら優遇してもらえる場面ってあるわよね。彼のお仕事絡みで割引してもらえたとか、特別扱いしてもらえたとか。それ自体は別に悪いことじゃないの。ありがたく受け取って、楽しめばいいのよ。
でもね、これがクセモノなのは、優遇してもらえることが、いつのまにか愛情や本気度の「ものさし」みたいになってしまうところ。優遇されてる=愛されてる、優遇されない=大事にされてない、みたいに脳内変換が始まると、もうこじれる入口に立ってるわよ。
相手にしてみれば、優遇って毎回できるサービスじゃないの。負担になることもあるし、状況によっては他の人を優先せざるを得ないこともある。それを「仕事」と「社交」の境目で考えてみるとわかりやすいかもしれないわね。優遇という名のサービスを受け続けていると、相手の中でそれが「仕事じゃなくて社交」という位置づけになっていく。そうなると、本来優先されるべき「仕事の場面」では、あっさり他の人に順番を譲られることも出てくる。当然よね、相手にとってそれはもう「特別扱い」という名のプライベートな領域に移ってしまっているんだから。
だからこそ、ときどき「仕事は仕事」とあえて区切ってみるの。割引や優遇を当然のものとして受け取り続けるのをやめて、自分でちゃんと手続きする。頼むときも「お願いします」と仕事として割り切ってお願いする。
これをやってみると、不思議と肩の力が抜けるのよ。優遇されるかどうかにこだわらなくなると、関係そのものを見直すきっかけにもなる。執着って、たいてい「特別扱いされたい」「大事にされたい」という気持ちの裏返しでしかないの。その正体がわかれば、なんだ、その程度のことだったのね、って笑えてくるはずよ。
優遇されること自体は悪くない。けれど、それに依存して、それがないと不安になる、それがあるかないかで一喜一憂する……それでは、自分の人生の流れを自分で邪魔してることになるの。
大切にされていないと感じる裏側には、優遇を「当たり前」として受け取り続けてきた弊害が隠れていることも多いものよ。わかったら、少し肩の力、抜きなさい。