調べるだけで終わってしまうのはなぜ? やる気が消える本当の理由
やってみよう!と調べ始めたのに、先人がいるとわかったとたんやる気が消える——そのパターンの正体と、いくら分析しても変われない理由。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:調べるだけで終わっちゃう、というプログラムを持っていたら
こういう話、けっこうよくあるのよ。
何か新しいことを見つけて、よし、やってみよう! と思う。さっそく調べ始める。そしたら、あら。すでに同じようなことをやっている人が大勢いるのを発見して——とたんにやる気がすっと引いてしまう。
「なーんだ、もうやってる人がいたのか」って。
本人は「1番じゃないとイヤなのかな?」なんて首をかしげているけれど、そんな単純な話じゃないのよ。
調べることが、いつのまにか目的にすり替わっている
本当にやりたいなら、先人がいたって関係ない。調べるのは「やるために」情報を集めることが目的のはずでしょ。それなのにやる気がなくなってしまうということは——どこかで調べること自体が目的にすり替わっているってこと。
というより、正確にはこういう話ね。
調べて、がっかりして、「どうせ」ってなる——この一連のパターンを、無意識に繰り返している。
なぜかというと、幼少期に「自分がやることは歓迎されない」「すごくオリジナルでよいとは思ってもらえない」という体験をして、がっかりしたり、あきらめたりした記憶が、まだ解消されずにそこにあるから。
その記憶が癒しを求めて、似たような状況を再現しようとするの。「ほらほら、また認めてもらえない」って。潜在意識って、ほんとうに律儀でしょ(笑)
分析しても、気持ちはほどけない
「なるほど、幼少期にがっかりした記憶があるから、このパターンが出るんだ」——頭でそう理解したとして、それで行動が変わるかというと、変わらないのよ。残念ながら。
分析はウソをつくの。
脳で「こうだああだ」と考えることは、新しい苦しみに入り込むだけ。理屈でわかっても、感情がほどけていなければ、パターンはそのままなの。
感情って、頭で理解するものじゃなくて、ただ感じるもの。「あ、そうだよね、そうだった」って、深いところでストンと腑に落ちる瞬間が来たとき——そこで初めて、何かが解消される。
だから、考え込まないで。あれこれ分析しないで。楽にしていると、ふとした瞬間にわかることがある。そのとき、パターンは変わるの。
自分に制限をつけているのは、自分
少し話が変わるようで、じつはつながっているのよ。
たとえば、泣きたいのに泣ける場所がない、という状況になったとして——じゃあカラオケは? と思いつける人と、思いつかない人がいる。
この差、何だと思う?
「自分はなんでもできる」と潜在意識が知っている人は、カラオケという選択肢がサラッと浮かぶ。でも「できない、我慢しないとならない」という前提がある人は、思いついても「お金がかかる」「恥ずかしい」と理由をくっつけて、やらないの。
「調べては、がっかりしてやめる」パターンと、構造はまったく同じでしょ。
自分で自分に制限をつけている。そして、そのことに気がついていない。
知っていれば、カラオケが思いのほか安いことに気がついたり、自分に合った場所も見えてくる。情報も自然と入ってくる——これが巷でいう「引き寄せ」の正体ね。気づいた瞬間に、道がひらけることがある。
「調べるだけ」で終わってしまうあなたは、飽き性でも、1番じゃないとダメな人でもない。ただ、幼少期に「どうせ」と刷り込まれた記憶が、まだそこに残っているだけ。それはあなたの欠点じゃなくて、まだ癒されていない部分があるというだけのことよ。
分析はいいの。でも、気持ちをほどくのは、頭じゃないのよね。