ペットロス——「忘れてしまう自分」への罪悪感
ペットが逝ってしまったのに、普通に笑って過ごしてしまう自分が薄情に思える?でもね、忘れることと愛することは矛盾しないのよ。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:無料相談 大事なペットを亡くして
ペットが旅立った。できることは全部やった。後悔なく見送れた。
それなのに、ふと気づいたら日常に戻っていて、そのことをすっかり忘れて笑っている自分がいる。
なんだか薄情みたいで、いけないことのような気がして——そんな気持ちを抱えている人、ほんとうに多いのよ。でもね、それ、全然いけなくない。
動物たちの、あっさりした別れ方
動物って、私たちよりも死の受け入れ方がずっとあっさりしているの。
自然の中で生きている彼らは、仲間がいなくなることに日常的に直面してる。それでも翌日には、また走り回って、飛び回ってる。薄情なんじゃなくて、「忘れちゃいけない」という言葉がそもそも頭の中にないから。
死は怖いもの、別れはつらいもの——そういった観念は、言語を持つ人間が積み上げていくものよ。動物にはその観念がないから、本能的な喜びに素直でいられる。純粋に、今を生きているの。
亡くなったペットが夢に出てきて、「じゃ、また」とでも言うように去っていく——そういう話を聞くことがあるわ。あっけらかんと、軽やかに別れを告げて。怖くも重くもなく、ただそこにいて、それから行く。動物ってそういう存在なのよね。
忘れることと、愛することは別の話
ここが一番大事なところ。
普通に過ごせてしまう自分を責めてるでしょ。でもね、あなたが笑っている間も、彼らの記憶はちゃんとそこにあるの。消えてなんかいない。
ふとしたにおいで、ある角度の光で、なんでもないタイミングで、ふっと記憶がよみがえる。言葉にならないかもしれないけれど、確かにある温かさ。それが愛よ。
悲しんでいないと愛が薄く感じる——というのは、「忘れられることへの恐怖」という観念が作り出した幻想なの。幸せな記憶と、深い愛は、ちゃんと共存できるのよ。あなたが笑っていても、愛は消えない。
悲しみにしがみつくことが、愛じゃない
いつも泣いていることが、愛情の証明ではないわ。
できることを全部してあげた、その事実は変わらない。してもらったほうはね、それで十分だってわかってる。「ありがとう」って、ちゃんと届いてるの。
あなたが喜びを感じたり、笑ったり、日常を普通に送ったりしても、なんにも悪くない。愛って、ふとした拍子に出てくる純粋な記憶よ。純粋な感謝の気持ち。それだけで、十分なの。
罪悪感は手放していいわよ。幸せでいることは彼らへの裏切りじゃないわ。