愚痴ばかりの人が苦手でしんどい――その疲れの正体は、相手じゃないかもしれない
愚痴や不満ばかりの人と話すのが苦痛でたまらない。でも、その疲れの正体は相手じゃないかもしれないの。潜在意識に眠る課題に気づくと、人間関係の景色が変わり始める。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
こういうこと、ある。
楽しい話がしたくて、自分の好きなこと、やりたいこと、ワクワクしてることを話すと、返ってくるのは決まって誰かへの文句、仕事への不満、あれがダメこれがダメ……。話を合わせるのに必死で、気づいたらぐったりしてる。一人でいるときはこんなに穏やかなのに、人が近くにいるだけでダメになる。
そういう感覚、けっこう多くの人が持ってるのよ。
でもね、少し待ってほしいの。その疲れ、全部「相手のせい」かしら?って話。
あなたは、自分の中の「マイナス」と戦ってない?
はっきり言うけど、楽しい話をしたいのに相手がいつもそうじゃない、という状況がずっと続くとき――課題は相手の側だけにはないの。
人ってね、自分の中に「マイナスな感情をちゃんと受け取って、流す」という部分が開いていると、相手の愚痴や不満を聞いても、「そうか、そう感じてるんだね」って受け取りながら、巻き込まれずにいられるものなのよ。
でもその部分が閉じていると、つまり、ネガティブなことに対して「それは見たくない、嫌だ、拒絶」ってなっていると、相手はなんとなくそれを感じ取るの。自分のマイナスの部分を拒絶されているように受け取るから、余計に壁ができる。だから楽しい話をしても、なんとなく「無理してる」ように伝わってしまうことすらあるの。おもしろいでしょ?
ポジティブだけで生きようとするのは、実は不自然なことなのよ。「今日は憂鬱だな、ま、いっか」くらいの波が、人間には自然にあるものなの。それを「いけないこと」として押しつぶして生きていると、まわりの人との間に見えない緊張が生まれてくる。相手の愚痴が強く嫌だと感じるのは、自分の中にも似たような何かがあって、それを必死で見ないようにしているサインだったりするの。
マイナスと戦うのをやめると、何かが変わる
じゃあどうすればいいの、って話ね。
まず、自分がどれほど「マイナスを感じたら自分がダメになる」って信じているか、そこに気づくことよ。雨が降って憂鬱になった自分を拒絶するんじゃなくて、「ひええ、濡れるじゃない」って素直に感じて、その次に「じゃあかわいい傘でも買おうかな」って自然に動けるかどうか。
頭で無理矢理ポジティブを作るんじゃなくて、自分の中の素直な気持ちに触れること。赤ちゃんが雨を見て素直にびっくりするような、あのフラットな感受性よ。それが深い層と繋がるということなの。
そういう状態になってくると、相手の愚痴を聞いても「そうか、そういう気持ちなんだね、でも私はちょっと違うな」って、穏やかに距離を取れるようになる。巻き込まれもしないし、でも拒絶もしない。
するとおもしろいことに、相手も変わってくるの。ちゃんと受け取ってもらえる安心感から、その人の良い面が見えてくる。愚痴ばかりだと思っていた人が、そうでもなかった、なんてことも起きてくるのよ。
「この人が嫌だ」という強い感覚は、鏡かもしれない
一つだけ、ちょっとドキッとすることを言うわね。
相手の愚痴や不満が「強く強く嫌だ」と感じるとき、その強さの中に、あなた自身の潜在意識の課題が映し出されていることがあるの。不思議でしょ?(笑)
別に相手のことを好きになる必要はない。ただ、「この人は嫌だ」という反応が自分の中でどれほど激しいか、そこに一度だけ目を向けてみて。そこに、あなたが自分自身に対してやっていることのヒントが隠れていることが多いのよ。
ネガティブな話が苦痛で仕方ないなら、まず自分の中のマイナスと戦うのをやめてみる。相手を変えようとするよりずっと早く、じわじわと人間関係の景色が変わってくるから。