信じれば必ず叶うが逆効果になる理由
「信じれば必ずかなう」って言葉、あなたにとって自然に働いてる? 力づくで思い込もうとするほど崩れやすい、その仕組みと本当に流れを呼ぶアファメーション。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:信じれば必ず、、、の真実と嘘
「信じれば必ずかなう」。引き寄せの本を読んだり、スピリチュアルに触れたりすると、一度は出会う言葉でしょ。でも、この言葉にすんなり乗れている人と、どこかしっくりこない人がいるのよね。
あなたはどっちかしら?
力づくで信じようとすると、むしろ弱くなる
経験上、はっきり言えることがひとつある。悪いことが起きるのが問題じゃない。悪いことがあっても「それでいい」と受け止められていないことが、人を弱くするし、流れを止めるのよ。
「信じれば必ず」が崩れやすいのは、力づくでそう思い込もうとしているとき。たとえばね、信じれば必ずスタイルが良くなる、と毎日言い聞かせてたとする。ある程度うまくいってきた頃に、誰かから「でも足が短いからパリコレは無理よね」って言われた。
さあ、どうなる?
その一言で、それまでの努力が全部崩れる気がして、一気に落ち込む。これが「信じれば必ず依存」の怖いところなの。コインに裏と表があるみたいに、「絶対なる」の裏には「これでだめだ」が貼りついてる。どんな言葉にも、陰と陽がある。それだけのことよ。
「弱さを認めない」アファメーションには無理がある
じゃあ、どういう言葉がいいのかって話ね。
短い足は変わらない。でも、それを生かして自分らしいモデルになる——そういう目標を持てたら、あの一言はどう聞こえたと思う?「そうね、じゃあ私の強みで勝負ね」って、むしろ前に進む燃料になったかもしれない。
弱さをなかったことにしようとするアファメーションって、砂の上に建てた家みたいなものなの。少しの揺れで崩れる。
いろんな人と話してきて気づくのは、「信じれば必ず」に乗れていない人の多くは、そのゴール自体が自分の本音じゃなかったりするのよ。見栄、親の価値観から来た「幸せ像」、あるいは誰かへの証明。そういう動機から来る言葉はどこかしら不自然で、一時的な高揚感はあっても、長続きしない。
「痩せるんだ、痩せるんだ」と言い聞かせて過食嘔吐になってしまう人だって、実際にいる。これはもう言葉の使い方の問題じゃなくて、その言葉の根っこにある強迫観念をどう扱うか、の話になってくるのよ。
本当に流れを呼ぶ言葉は、自然にそう思えるもの
「信じれば必ず」が本物かどうかを見分けるのは、じつは簡単。
その言葉を思ったとき、何か悪いことが起きても「それでよかった、このまま進もう」と思えるなら本物。無理やり信じ込もうとしていたり、過緊張で気を張り続けないといけないなら、何かが合っていないだけ。
あなたにとって自然にしっくりくる言葉があれば、それは物事をさくさく進めてくれる。逆に、どこかムリがある言葉を使い続けても、流れを呼び込むんじゃなくて、流れを止めるのよ。
最終的に「幸せでいられること」「豊かでいられること」を信じるのは自然なこと。でも、特定のゴールにこだわって「これじゃないとだめ」になったとき、「信じれば必ず」は毒に変わるのよ。