「これが自分だ」と思っているのが、実は本当の自分にかけたウソだとしたら?
「これが自分だ」と思っているその姿は、本当の自分にかけたウソかもしれない。誰かを憎む気持ちや傷つく心の裏にある「素直になれなかった自分」と向き合い、本当のあなたに出会うための話。
Original Article
キャシ天野さんの承諾をいただき、ブログ記事をLoveDecode流に再編集して掲載しています。オリジナル記事も合わせてご参照ください。
オリジナル記事:わたし、という名の嘘
今日はちょっと真面目な話をするわよ。
人の悩みって、突き詰めるとぜんぶ同じところに行き着くの。それは何かというと、「自分を裏切っている」ということ。これに尽きるのよ。長年いろんな人と接してきて、はっきりそう感じるようになった。
「素直な自分」って、わがままとは違うのよ
「素直に生きる」って言うと、好き放題やることだと勘違いされがちなんだけど、それは違う。むしろ逆。
誰かを酷く憎んでしまうとき、それって一見「自分の心に正直」なように見えるでしょ。でも実はね、それこそが心の嘘なの。本当は、もっと早い段階で「嫌だ」「こうしたいんだ」って言えたはずなのに、言わずに自分を裏切ってしまった。その結果が、こじれた憎しみとして出てきているの。
相手が離れていくのが怖い。嫌われるのが怖い。常識ってものに縛られて、新しい感じ方を許せなかった。勇気が出せずに、相手と気持ちがすれ違ってしまった。そうやって人は、本当は自分を守りたかっただけなのに、いつのまにか相手を憎むようになる。
「裏切られた」って傷つくのも、結局は同じこと。本当はその人と何か素晴らしいものを築ける可能性に、賭けていた自分がいたのよね。でもどんな結果が出ても、そこから責任を持って続けていこう、っていう強い心の声を、自分で無視しちゃった。その結果に、ただ憤っているだけなの。わかる? 原因は相手じゃなくて、いつも自分の中にあるのよ。
ある映像体験から見えてきたもの
以前、私は自分自身をどうしても癒さなきゃいけない時期があってね。そのときに、ある映像が見えたことがあったの。これはただのイメージとして聞いてほしいんだけど、前世がどうとか、そういう話をしたいわけじゃないから、そこは誤解しないでね。
その映像の中で、私の家族は戦で全員亡くなっていた。昔、戦争に行かなければならなかった時代の話。残された娘である私は、10歳くらいで、ひとりぼっちでお弁当を食べていたの。お米が貴重だった時代だから、握り飯のようなものだったのかもしれない。とにかく、深い悲しみの中にいた。
でもね、突然その気持ちがふっと変わって、愛情に包まれる瞬間が訪れたの。気づけば私はお墓に毎日挨拶に行って、そこで一人、楽しくお弁当を食べるようになっていた。草木の香り、安定した心、日の光に満ちた世界。何年もの悲しみの後に訪れた、深い平安だった。一人で喋って、一人で食事をしているのに、その気持ちはとても純粋で、穢れのないものだったのよね。
正直、今同じことが起きたら、私はとても耐えられないと思う。でもそのとき理解したのは――愛情っていうのは、「自分が愛しているからこそ嬉しい」っていう強さのことなんだ、ということ。
握り飯を作りながら一人ぼっちだと思っていた少女は、最初は涙にくれていた。でも何年もかけて、その子はちゃんと強くなった。やがて握り飯を持って、お父さんとお母さんのお墓に「一緒に食べよう」と向かうようになる。そこにあったのは、自分が愛することこそが素晴らしい、っていう気づきと、いてくれた人たちへの感謝と喜びだった。
愛は、与えるからこそ満たされるもの
この心の中で起きたことを、うまく説明する言葉を私はまだ持っていない。でもひとつだけはっきりわかったのは、愛情というのは「自分が愛したいから愛して、それだけで嬉しいもの」だということ。
世の中でストーカーのような行動に走ってしまう人って、結局「自分が愛されないこと」が悔しくて、相手を追い詰めてしまうのよね。これって、自分自身の愛情をまったく信じられていない状態なの。
愛することそのものの喜びに、自分自身が信頼を置けたら――自分の気持ちが相手に受け入れられないことを、いちいち「自分の否定」だの「自分はみじめだ」だの、偏った方向に持っていきにくくなるはずなの。
成功したい、何かを成し遂げたい。その気持ちに自分が忠実でいて、その思いそのものを良いものだと信じられていたら、たとえそのとき結果が出なくても、「恥」とか「裏切られた」なんて感覚にはならない。「ああ、ここまでできてよかったな」って、自分を信頼して、また続けるだけ。それでいいの。
蛇のように賢く、子供のように清い心で、なんて言葉が聖書にあるらしいけど、子どもの純粋な愛情って、本来歪められなければそういうものなのかもしれないわね。
自分にウソをついていないか、たまに確認してみて
その映像体験で気持ちが晴れた後、私のあらゆる人間関係は好転していったし、新しい出会いにも恵まれるようになった。
私は別に強い人間じゃないから、いつもこの心境でいられるわけじゃない。立派なことは言えないの。でも、あの時の心境を経験したことは、たとえ同じ状態に戻れなくても、忘れることはないと思う。
「わたし」という名の嘘。今あなたが「これが自分だ」と思っているその姿が、実は本当の自分にかけたウソだとしたら? 本当のあなたは、もっともっと違う輝きを秘めているとしたら?
考えるだけでワクワクしない? そして私は、それこそが真実なんじゃないかと思っているの。